「山稜への誘い」 特設
2011年 東日本大震災 3年後の爪痕 | ||
あまりにも大きなこの災害にとても個人的なコメントはできません。 東北の山々や山域の花を撮影している我が身として、何らかの形で拘わるべきであろうと兼ねてから思案していました。 しかし、今だにその答えも見つからず月日が過ぎ、既に3年が経っていた2014年4月、思い切って現地を訪れてみようと一念発起。 今回、折から秋田県でカタクリ撮影を済ませた後、現地を初めて訪れる事にしました。 更にに2015年4月にも再度この地域を訪問して参りました。 ただ、2年連続で出かけて来ましたが自分が出来る事は何も見つからず、現地の方々とのコミュニケーションも少なく、一歩踏み込んで行けない自分にもどかしい思いがしておりました。 風化させてはいけない歴史的大災害、今できる事はこの大震災のほんの一端、もちろん表面の一部でしかないですが、現地を訪れて私の目で見た『3年後の爪痕』、その様子を少しでも記録し記憶ておくべき事として、遅ればせながらここに掲載させて頂きますことをご理解願います。 |
現地には、秋田から盛岡を経て岩手県下閉伊群岩泉町に入って三陸海岸沿いを南下しようと宮古市へ。 随所に残る復興手つかずの景色にカメラを向けながら、国道45号線をさらに南下。 山田町、釜石。 大船渡市から陸前高田へ。 ここではゆっくりホテルに一泊して時間をかけて歩いてみた。 宮城県気仙沼市に下っても痕跡は消えていない。 南三陸町、女川町でも倒壊した建物の残骸を見ると胸が苦しくなった。 石巻市へ下ってから仙台で高速に乗って帰名。(2014年4月27~29日撮影) |
2014年4月27日 (初日) | ほとんど準備もせず、前知識や先入観のないままに現地入りしました。 | |
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2014年4月28日 (2日目) | 前夜は道の駅『みやこ』で車仮泊しました。 美しい海岸とは打って変って、更地になったままの街の様子や鉄骨だけが残った建物が未だ放置されている。 |
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2014年4月29日 (3日目) | 秋田から移動し、疲れもあって高台のホテルに1泊しました。 復興工事のダンプカーが走る整地、陸前高田では多く撮影しましたが印象的な景色が多く 胸を打たれました。 |
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全てぎ流された町に桜の木が1本元気に咲いていました。 |
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【僅か3日間の撮影で感じたこと】 倒壊建物の撤去が進み、街の復興工事は進んでいる様子。その復興事業は容易では無いと想像します。 ただ、復興のため記憶に残したい建物や景色が失われ地域の風土、文化の変化も懸念の一つです。 現地では毎日声を嗄らして嘆願されるご婦人の方と遭遇し、切ない気持ちにかられました。 今回撮影した景色がどのように変わって行くのか、変わってしまうのかを記録し見続けて行きたいです。 皆様が出来るだけ早く、大震災前の生活に近づけますよう、今は祈念するしかありません。 そして100年、1000年後の世代へどのように伝えるかも課題ですね。 |
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2015年 4月21日 (2回目の訪問で) |
昨年に続いて、同じ時期に今度は家内を伴って2人でやって来ました。 | |
今回はじっくり日程を確保することは出来なかったのですが走り見た限り、昨年のままの所、少し変わった所、復興の進捗はゆっくりと進んでいるように感じました。 | ||
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